Europe Tour @
南ドイツ・ロマンチック街道を巡る旅
2006/4/3 〜 2006/4/6




2006/4/3 旅立ち〜フランクフルト
初めてのヨーロッパ旅行を体験しました。パスポートをきちんとカバンに入れたり、ヨーロッパの通貨であるEUROに換金をしたり、入念に準備をしました。日本のお茶や薬も忘れられません。
ところが、いきなりこけました。
空港の様子を収めようとカメラを構えると、メモリーカードが入っていないじゃないですか!?一枚も写真が撮れない・・・

急遽、空港の売店で1GBのCFカードを買うことに。あほだー。なんてドジなんでしょう。珍道中の始まりを予感させられました。まさか貯めたマイレージでメモリーカードを買うことになるとは思いもしませんでした。
気を取り直し、軽く昼ごはんを食べ、飛行機に乗り込みました。機体はいつもお世話になっているJALです。さすがにビジネスクラスには乗れませんでしたが、いつか乗ってみたいですね。

日本時間の13時過ぎ。飛行機は無事に成田を飛び立ちました。地上にはあちこちにピンクの桜の模様が見えました。帰ってくるころにはまだ咲いていてくれるのでしょうか。
しばしの間、日本とはお別れです。

しばらくすると、初の機内食が出てきました。まだお昼ご飯食べたばかりなんですけど・・・
とっても熱くて柔らかいハンバーグをいただきました。冷たい料理をイメージしていましたが、さすがJALはいい料理を出しますね。

機内では、シートのモニターで映画を見ることが出来ました。前から気になっていたナルニア国物語を楽しんでしまいました。ちょうど暇つぶしにnintendo DSのナルニアのゲームを買っていたので、実にタイムリーでした。ゲームの内容がよくわかりました。
映画の合間にふと外を見ると、大地は真っ白でした。それもそのはず。ここはシベリアだったのです。見ているだけで寒そうです。
氷に閉ざされた世界のようですね。
フライトは12時間にも及びました。エコノミー症候群にならないように軽く体を動かします。
それにしても日が沈みません。もう日付が変わるほど時間は経っているのにいつまでも太陽が眩しいです。これが時差ってヤツなんですね。
機体はそろそろドイツ上空に差し掛かったようです。
ドイツは北海道と似た気候と聞いていましたが、街の散らばり方も似てますね。
しかし、長かったー。さすがに12時間は飽きてしまいました。




フランクフルト中央駅
飛行機はドイツのほぼ中央に位置するフランクフルトに降り立ちました。いよいよヨーロッパに足を踏み入れたのです。4月からサマータイムのドイツでは日本と7時間の時差があり、昼から12時間も飛行機に乗ったのにまだ夕方の18時です。それにしても眠い・・・
ホテルに着いたのですが、目の前にはドイツ最大級のフランクフルト中央駅があります。ちょっと寄ってみましょう。

ここフランクフルトは、794年に出来ており、ちょうど日本の京都と同じ、1200年余りの歴史があります。というと、ものすごく古そうですが、ヨーロッパにはまだまだ古い街がいっぱいありますので、フランクフルトは序の口のようです。
それにしても立派な駅です。たくさんの電車が乗り入れておりました。電車の旅もいいかもしれませんね。
駅の中にはいろいろな売店がありましたが、SUSHIバーをいくつか見かけました。おいしいんでしょうかね。
このメニューでは、マグロならぬサーモンがメインで出ていますね。サーモンマリネなどがあるように、マグロよりもサーモンの方がドイツ人の口に合うのでしょうか。
売店でポテチとチョコをゲットしました。値段がユーロでわかりにくかったんですが、円に換算すると、500円くらいしました。日本じゃ考えられないですね。
そして、もうひとつ。このチョコ、ライスにチョコがコーティングしてあるからなのか、nipponと安直な名前がついておりました・・・






2006/4/4 フランクフルト〜アウトバーン
時差のため、眠気に耐え切れずめちゃくちゃ早い時間にベッドに入りました。そのため、やたら朝早くに目が覚めました。時差のおかげでとっても健康的な生活サイクルになりました。そして長い長い夜も明けフランクフルトを出発です。ホテルに迎えに来てくれたのはゴージャスなベンツのバス!エンブレムが燦然と輝いております。
ヨーロッパを観光するときは、このJALユーロエクスプレスが便利ですね。日本語もばっちり通じますし、シートはもちろんレカロ!

バスはフランクフルトの市街地を抜け、マイン川沿いを走ります。この川はライン川の支流で、バイエルン州北部を西流しております。ここはマイン川の湖畔のフランクフルト言う意味で、フランクフルト アム マイン市と呼ばれています。
そして、街を抜けるとお楽しみのアウトバーンに突入です!

アウトバーンの何が楽しみって、ここは制限速度なしの高速道路。フェラーリやポルシェが200km・hオーバーで爆走!!
と、思いきや、結構、普通の高速道路。あまり爆走している車は見かけませんでした。
日本でそんな道があったら、ほんとの無法地帯になってしまいそうですが、ドイツ人というのは、堅実な民族で、エンジンのパワーと己の力量をわきまえて走るので、むしろ極めて安全運転です。それでも、普通のおばちゃんが平気で160km・hくらいで走っています。
あぁ、やっぱりまじん号で走りたひ・・・




Heidelberg
朝の9時にフランクフルトを出て、90キロの道のりを経て最初の目的地であるハイデルベルクに到着しました。ここにあるハイデルベルク大学は1386年に創立されており、ドイツ最古の大学の街です。
大学内は治外法権のため、やんちゃをした学生は街にある学生牢に閉じ込められていたようです。でも、その牢屋に閉じ込められることが一つの勲章のようなものでもあったようです。学生らしい考え方ですね。



ハイデルベルク城
ハイデルベルク城は13世紀にプファルツ伯の城として建てられております。当時、政略結婚で無理やり嫁がされた19歳の姫が毎日泣いてばかりいたので、ここがお前のうちだよという城主の計らいで作られたのがこの門です。
正面からくぐると縁結びの効果があるそうです。
城内を観光するために門の中へと入っていきます。のんきに世間話をしている守衛さんが印象的でした。あと、記念撮影をしている日本人を無視して割り込む横柄な中国人も印象的でした。関西のおばちゃんよりも恐ろしかったです。

門をくぐり、右手を見上げると廃墟と化した城壁がありました。本当に壁しかなく、窓の向こうには空が見えていました。30年戦争やたび重なる火事でこんな姿になってしまったようです。なんとも切ない光景です。
そして、こちらが入って正面に見えたフリードリヒ館です。きれいに改築工事がなされております。ゴシック様式、ルネッサンス様式、バロック様式など、様々な建築様式が取り入れられ、実に複雑な構造をしております。
そのタルの正面には子男の像がありました。彼は、ワインの入ったこのタルの見張り番で道化師ペルケオといいます。実物大のサイズですが、とっても小さかったです。

そんな酒好きの彼も、ワインの代わりにコップいっぱいの水を飲んで死んでしまったという伝説があります。
実は、このあたりは水がとても不衛生だったので、みんな水代わりにワインを飲んでいたようです。
   
このお城の中には、とてつもなく巨大なワインのタルがありました。ギネスブックにも載っているという大タルです。22万リットルの貯蔵が可能なのです。それがいったい、どれくらいの量かというと、ちょうど、日本からヨーロッパに渡る飛行機の片道燃料に相当するようです。
タルの横に階段があり、上には登れるようになっています。

それにしても22万リットルのワインって、お味の方はどうだったんでしょうね。



ハイデルベルク旧市街
ハイデルベルク城のテラスからは一生忘れることの出来ない大変すばらしい眺めを見ることが出来ました。この赤い屋根の広がる街並は日本の景色とは明らかに異なります。ヨーロッパに来たなぁと実感してしまいます。
この赤い屋根は赤砂岩が含まれているため、このような色合いになっています。
真ん中に見える一際大きな建物が精霊教会です。



ハイデルベルク市街地散策
街の中心には、マルクト広場があり、そこの中央には精霊教会が建っていました。
城のテラスから一際大きく目の中に飛び込んできた建物です。
この教会では、不思議なことに一部が古本屋になっておりました。

せっかくですので、教会の中に入ってみることにしましょう。
城を見た後は、テラスから見えたハイデルベルクの旧市街を散策です。ここにあった「カフェ・クネーゼル」はその昔、男女の出会いの場だったようです。当時は風紀が厳しく、女学生が思いを伝えることは難しかったので、その事情を察した洋菓子職人がチョコレート菓子を用意したというなんとも甘〜いお店です。バレンタインみたいですね。

教会の中は、非常に厳粛な雰囲気で、その突き抜けるような高さの天井に圧倒されます。

入り口の横では、蝋燭に日が燈せるようになっておりました。
そして、幸運にも教会の中では、神父さんがパイプオルガンを演奏しておりました。その太く大きなパイプの中から奏でられる音は美しく、とても切ない音色でした。
広々とした教会の中を神父さんの奏でる音が包み込みます。
教会の前にはハウプト通りというメインストリートが走っていました。この通りの一番教会寄りのところでは、NICOLAS ROYALという日本人のオーナーが営む土産物屋がありました。
ドイツ語には堪能ではないので、こういった日本語の使えるお店では安心して買い物が出来ます。
また、ドイツではトイレがなかなかないのですが、ここでは無料でトイレを借りることが出来ました。
ハウプト通り沿いのお店でドイツ料理のレストランに入りました。
ドイツではカツレツが有名で、早速名物をいただくことが出来ました。お味はなかなかのものでした。
また、ドイツといえば、ジャガイモ。ジャーマンポテトもついていました。
一つ気に入らなかったのは野菜にかかっているドレッシング。
例えて言うなら、マクドナルドのフィッシュバーガーにかかっているタルタルソースの味・・・



カール・テオドール橋
食後は再びハイデルベルクの旧市街を散策です。城の上のテラスから見えた、このカール・テオドール橋を渡ってみたいと思います。別名、「アルテ・ブリュッケ」ともいいます。
橋の向こうに見える小高い丘には、京都と同じ、哲学者の道があります(京都にあるのは哲学の道)。上ってみたかったのですが、時間の都合上、断念。
カール・テオドール橋の上から見たハイデルベルク城です。橋の下を流れる川は、ネッカー川です。とても豊かな水量を誇ります。
橋を渡りきったところからの眺めです。テラスからの眺めも美しかったですが、こちらから眺めるハイデルベルク城はベストアングルといえるでしょう。とてもよい絵が撮れました。
と思えば、同じようなアングルでこんなお土産が出ておりました。裏にはマグネットが付いております。おもわず、ゲット!
よい旅の記念になりました。




ハイデルベルク〜ローテンブルク
さて、名残惜しいですが、そろそろ次の目的地へと行かねばなりません。ここからは160キロの道のりを経て次の街へ行きます。
再び、JALユーロエクスプレスに乗り込ます。
そういえば、ドイツのバスは、100km・h以上出ないように設計されているようです。リミッターがかかっているんですね。
ハイデルベルクからは、古城街道沿いにアウトバーンを走ります。さすが古城街道。至る所に惜しげもなくお城が建っております。
ちなみにドイツではなんと飲酒運転が許可されております。日本ではとんでもないとされていることですが、ドイツ人は滅法お酒に強く、酔いつぶれるような人はいないから構わないのだとか。それに自制心も強いのだそうです。なんていうお国柄なんでしょう。
途中、パーキングに止まりました。そこでみたのはなんと戦車。こんなものが高速道路を走っているなんてさすがドイツですね。
ここのパーキングではトイレが有料でした。海外ではチップの必要なトイレが普通みたいですね。ついでにドイツのチューニングカー雑誌もゲットして来ました(笑)
ドイツでは、あまり日本車を見かけませんでしたが、やはり、ベンツが惜しげもなくわらわらと走っておりました。ここではスタンダードなんでしょうか。他にもBMWやアルファロメオなんかが多かったです。でも、不思議とチューニングされている車にはほとんど出会いませんでした。マフラーすら変わっていません。




ローテンブルク
どこまでも緑の続く平原をすすみ、ようやく次の目的地が見えてきました。街が城壁に囲まれ、要塞のようになっています。しかし、この景色はもうドラゴンクエストの世界ですね。フィールドを歩いていると、新しい街が見えてきた。そんな錯覚に陥ります。
名前もローテンブルクなんてついていて、ほんとにドラクエっぽいですね。実は、ドイツ語でブルク(Burg)というのは、城という意味で、ベルク(Berg)というのは山という意味なんです。
バスはローテンブルクの街の中に入っていきました。道路は石畳のため、ガタガタとかなりの振動があります。とても狭い路地だったのですが、そんな中をバスはすいすいと走っていきました。運転手のトーマスはかなりのテクニックを持っているようです。感心してしまいました。
そして、到着したのが、ローテンブルクの中心地であるマルクト広場。マルクト広場というのは、マーケット広場という言葉から来ているので、どこの街にでもあります。この建物は市庁舎です。



ローテンブルクの街並
マルクト広場には市議宴会館がありました。ここにはマイスタートルンクの仕掛け時計があります。これはお酒を飲むまねをする仕掛け時計なのですが、ローテンブルクのシンボルといえます。
というのは、その昔、30年戦争のときに、敵軍に囲まれ、陥落してしまった際、敵の将軍が、「このジョッキのワインを飲み干すものがいたら、町を焼き払わずにいてやろう」といったのです。そこでこれを受けてたったヌッシュ市長は見事に飲み干して街を救ったという逸話があるのです。
さすがは中世の趣をもった街です。大胆にも馬車が街中を闊歩しております。とっても絵になりますね。
この街では、お店に様々な看板がぶら下がっております。
どれもとても個性豊かで、見ていて楽しくなってしまいます。
ファンタスティックなものもあれば、鬼の形をした厳ついものまであります。鬼の形のは酒場でした。
「おーい。」

誰か呼んだ??

招き猫ならまだしも、これはちょっとこわいかも。
こちらはローテンブルクの名物「シュネーバル」。英語で言うところのスノーボールでしょうか。雪玉のような形をしております。
独特な揚げ菓子でお店はミスドのような匂いが漂っております。味もドーナツみたいな感じでした。
チョコやナッツ、シナモンなどいろいろな味がありました。お土産に最適!
西内陣というのが上階にあり、ヴュルツブルクの大彫刻家ティルマン・リーメンシュナイダーによって彫られた「聖血祭壇」が奉られていました。
中央の彫刻には、「最後の晩餐」の場面が彫られており、大迫力の祭壇でした。
この祭壇を聖遺物というそうです。
こちらはローテンブルクの中でも象徴的な聖ヤコブ教会です。
プロテスタント教会ですが、1311年に建設が始まり、献堂式が執り行われるまでに2世紀近くかかっております。
せっかくなので、中に入ってみましょう。
これは素晴らしいステンドグラスですね。一番高いもので17mもあるようです。朝日が差し込むと大変きらびやかです。
左側の窓はマリアの生涯を表し、中央はイエスの生涯と受難、右側がイエスの秘蹟における救済を表しているそうです。
教会の一番奥にはなんとも立派な祭壇設けられていました。
十字架の下の聖者は、左から、エリザベス、ヤコブ、マリア、福音ヨハネス、レオンハード、そして隠者アントニウスです。
絵画には1466年当時のマルクト広場の様子が描かれていました。
聖ヤコブ教会の向かいには酒屋がありました。このローテンブルクというのはフランケンワインの大変有名なところで、ここにきてワインを飲まない人はいないというほどです。
さすがにマイスタートルンクのように3.25Lも一気飲みは出来ませんが。
さて、早速、その酒屋に入ると、ソムリエさんがおられたのですが、なんと日本人!!
これまで、なんども日本のテレビにも出演されておられるようなお方でした。気取らないとても親切な方でした。
なんでも、「私の血はワインなの」とおっしゃる芸能人もここの常連さんのようです。
そして、お店に入るなり、いきなり、試飲をさせていただきました。
小さなグラスに一口。きゅっと飲み干すと、これがまたびっくりするくらいおいしい!!白ワインなんですが、こんなにワインがおいしいものなのかと目からうろこが落ちました。私は左から3番目のアイスワインがとっても気に入りました。甘くてとろけそうな味です。凍っている間に収穫しなければならないのですが、なかなか採れないレアなワインなのです。
右から二番目はボトルの形がとても変わっていますが、フランケンワインと呼ばれているここの名産です。
すっかりほろ酔いになって3本お買い上げー。
私も飲みたい!!というかたは、こちらへどうぞ。
ローテンブルクというのは本当にドラゴンクエストの世界に迷い込んだような街でした。街に入れば、宿屋、教会、酒場、驚くべきことに武器屋まであったのです。ロトの剣が欲しかったところですが、武器ということで、税関で引っかかってしまうため、お持ち帰りは出来ないそうです。残念。
試しに剣をちょっと構えてみたんですが、ずっしりと手になじむ剣に気分は完全に勇者でした。欲しい・・・
ドイツの名物といえば、一番初めに思いつくのはソーセージではないでしょうか。これだけは絶対食べたいと思い、夜はソーセージを食べました。でも、ハーブがきつくてちょっと苦手な味でした。
そして、もう一つ、これを食べなきゃドイツを語れないというのがこのホワイトアスパラ。柔らかくゆでて卵黄とクリームが入ったオランデーズソースをかけて食べるのが、もっともスタンダードな食べ方です。美味しかったんですがちょっと食べ過ぎました・・・



プレーンライン
ローテンブルクの中で、もっとも風光明媚な景色がここ。象徴的な街並です。よく雑誌の表紙なども飾っています。シャッターを切らずにはいられませんでした。
街を歩いていると本当にドラゴンクエストの音楽が流れてきそうです。いいえ、すでに頭の中をぐるぐる回っていました。
だからといって、民家に入ってタンスや引き出しを開けたりしてはいけません。窃盗ですから。
美しい街並だと感心していると、やっぱりありました。ハイデルベルクで手に入れたようなマグネットがここにもありました。トナカイの看板まで再現されています。これも迷わずゲット。






2006/4/5 ロマンチック街道
中世の街並のようなローテンブルクで一夜を明かし、HPとMPを回復させました。そして、再びバスに乗り込み、フィールドへ出ます。次の目的地までは240キロあります。薬草は欠かせません。
ローテンブルクからは、今回の旅のメインでもあるロマンチック街道へと入ります。

とはいえ、全てロマンティック街道を使うと、目的地の到着が夕方になってしまうので、アウトバーンでショートカットです。
その途中、ウルムという街で、かの有名なドナウ川を横切りました。ドイツ南部の黒い森と呼ばれるシュヴァルツヴァルトを水源としています。ハイデルベルクのネッカー川もそこが水源になります。

ドイツの観光名所として有名なロマンティック街道ですが、中世の面影が至る所に残っており、その名の通り、ロマン溢れる街道です。しかし、もう一つの意味として、本当にローマへと続く道でもあったのです。
すでにずいぶん南下しました。すぐそこにはスイスが迫ってきています。
そんなところにこの旅の目的地はありました。




ホーエンシュヴァンガウ
旅の目的地は、ホーエンシュヴァンガウというところにありました。シュヴァンガウというのは「白鳥の高原」という意味です。そして、ホーエンとは、高いという意味ですから、さらに高い山の麓に行き先はあります。そこに城を築いたのがルートヴィヒ2世でした。
彼は幼いころ、このホーエンシュヴァンガウ城に住んでおり、そこから見える山上に、いつか白亜の城を築きあげたいと考えていたのです。
そんなホーエンシュヴァンガウ城を眺めながらお昼をいただきました。ここでもやっぱりドイツ料理です。ポークソテーが出てきました。隣に乗っている怪しい緑の野菜も口にしたんですが、なんだかよくわかりませんでした。松ぼっくり??カリフラワーみたいな食感でした。
食事を終え、ホーエンシュヴァンガウ城に背を向け、山の上を見上げると、ルートヴィヒ2世が生涯をかけて建てた白亜の城が見えました。私が幼いころ、2000ピースのジグソーパズルに挑戦したノイシュバンシュタイン城がもう目の前です!小学生のころ、それを完成させ、あまりの美しさに毎日見とれていた憧れの城にようやくたどり着いたのです。実に長い年月と長い道のりでした。



ノイシュヴァンシュタイン城
しかし、そんな私の長年の夢を打ち砕くかのように無常にも雪が降り始めました。ドイツというのは北海道のような気候で、さらに標高が800mもありますので、4月でもまだまだ雪の降る季節なのです。つい1週間前までは雪に閉ざされていたようです。
さすがに雪の降る中歩くのも大変なので、馬車に乗って城まで行くことにしました。馬の後ろに乗っていたのですが、馬ってお尻の穴が緩いんですね・・・
城門の300m手前まで揺られていきました。
最後は徒歩で城門まで行きました。ところが、天気は悪くなる一方。もう目の前の門ですらこの有様です。城の美しい姿はちっともみえません。とても哀しくなりました。
それでも城に向かう観光客はたくさんいました。しかも、国際的に有名な城ともなると、世界中から人が集まってきており、まさに人種の坩堝といった状態です。もう周りがナニジンなんだかわかりません。
入場も制限されているので、城門に付くと、人が溢れて軽いパニック状態です。
それでも、きちんと予約をしていったので、待たされることもなく中に入ることが出来ました。予約は必須ですね。でも、予約時間に遅れないように気をつけねばなりません。
城の中では、日本語のガイダンスもあるので、存分に城内の様子を堪能することが出来ます。ただ、撮影禁止なので、残念ながらきらびやかな姿はお見せすることが出来ません。あしからず。
バイエルンの王・ルートヴィヒ2世が1869年から巨額の資金と17年の歳月をかけて建築した白鳥城は、残念ながら完成することなく王の謎の死で夢が潰えてしまっています。城の建築に全力を注ぎ、国の財政を傾けてしまうほどだったので、政略的に城から降ろされ、精神異常者扱いされてしまったルートヴィヒ2世。172日しか、城に住むことは出来ませんでした。
ノイシュバンシュタイン城にもやっぱりありました。このおみやげ。

ほんとはこんな美しい姿が見えていたんですよね。
またいつか、もう一度この地を訪れたいなと切に願うのでした。
城から降ろされ、ベルク城に幽閉された彼は翌日、シュタンベルク湖で精神科医とともに謎の死を遂げています。他殺なのか、自殺なのか、全てが霧とともに謎に包まれています。
でも、この謎は謎のままにしておいたほうがいいように思います。
ロマンチック街道のフィナーレなのですから。
そして、なんといっても、彼はメルヘン王なのですから。
城も未完成で、玉座もまだ完成していなかったことですし。
ルートヴィヒ2世はワーグナーに心酔しており、自分のためだけの演奏会を開きたくてこの城を築城し始めたようです。なんて贅沢なんでしょう。私もお金があったら、心酔するYOSHIKIさんにお城を建ててあげたいくらいです。といっても、彼はすでに自分でハリウッドにお城を構えていますが・・・
それにしてもなんて立派な城門なんでしょう。永年、私が夢見てきた城が今、目の前にあります。全貌が見られなかったのは残念ですが、それでも、これだけ見られただけでも十分な感動がありました。一生忘れられないシーンになりました。




ミュンヘン
ノイシュバンシュタイン城に後ろ髪を引かれながらもドイツでの最終目的地であるミュンヘンに移動しました。ミュンヘンでも相変わらず雪が降っておりました。なんとも寒々とした風景になりました。
ミュンヘンには日本の三越があるということで、家族にお土産を買いに行きました。そこでは、店員のほとんどが日本人で、なんだか日本に帰ってきたような錯覚に陥ってしまいました。商品説明も全部日本語でとっても安心して買い物が出来ます。
せっかくドイツまで来たので、マイセンの壁掛け(ハイデルベルクが描かれています)とFEILERのタオルを購入しました。日本未発売モデルです。限定版に弱いとこが典型的な日本人ですね。
ミュンヘンの周りにはたくさんの醸造所が集まっています。非常に伝統のあるビール所です。ローテンブルクではワインを飲まねばなりませんが、ミュンヘンではビールを飲まずに帰ることはできません。街にはビアホールやビアレストランがひしめき合っているのですが、その中でも有名なのがホフブロイハウス。超有名なのが仇となり、完全に観光地化してしまっています。なので、味はいまいちでほんとのドイツ料理を食べるならやめたほうがいいとの噂。そこでオススメなのが新市庁舎から南西にちょっと向かったSendlinger通りのここ、アルテス・ハッカーハウス。ありがたいことに、日本語のメニューもあります。店員さんは日本語をしゃべれませんが・・・
さぁ、出てまいりましたドイツのビール。豪快にのどを潤します!
これまたうまいっ!!妙な癖がなく、とっても飲みやすいです。
ドイツでは、ビールに大麦、ホップ、水、酵母の4つしか入れてはいけない法律があります。極めて純粋なビールのみビールといわれます。コーンスターチなんて入ったら、それはもうただのアルコール入り炭酸飲料です。
結局、豚のすね肉のカリカリ焼きなど、またしても肉三昧。ドイツ人は肉が好きですねぇ。よほど気をつけていないと、野菜不足に簡単に陥りますね。
すっかりお腹も心も満たされ、地下鉄でホテルに向かうのでした。
大都市にしては珍しく、ミュンヘンはとっても治安が良いので、夜の10時くらいに女性が一人で歩いていても大丈夫なくらいの街です。






ミュンヘン市街散策
いよいよドイツを離れる日がやってきました。でも、まだまだ満喫し足りません。朝、早起きしてミュンヘン市内を探検してきました。
途中、見かけたおもちゃやさんではカルソニックGTRのラジコンがおいてありました。街を歩いていてもあまり日本車を見かけないので、寂しく思っていたのですが、なんとなく嬉しくなりました。



聖ポール教会
ミュンヘンでは、街の中心部ではなく、ちょっと外れたミュンヘン中央駅の近くのホテルに泊まっていました。(ドイツの駅は、なぜだか外れにあっても中央駅というみたい。)
そのホテルからまっすぐ行ったところに一際目を引く教会が建っていました。まずは、吸い込まれるようにその教会を見に行きました。
とっても荘厳な造りで見るものを圧倒させます。お祈りをしたくなる気持ちがわからなくもないですね。
朝も早かったせいか、ジョギングをしている人もいました。



カールス門
ミュンヘンは、マリエン広場を中心に発展してきた街です。なので、その街の中心に向かって歩くことにしました。そして、中心部の入り口ともいえるのが、このカールス門です。1300年ごろに出来たといわれている門です。
門をくぐりました。ここからノイハウザー通りという歩行者天国が始まります。
ここでは、様々なおみやげが展示されていたり、数々の博物館に巡り合うことがきます。
近くにサターンという家電量販店があったので、行ったみたのですが、カードもトラベラーズチェックも使えませんでした。なので、その時の手持ちのユーロでなんとかCD2枚が買えました。
どうしてもジャーマンメタルの本場で熱いメタルのCDが買いたかったのです。
とりあえず、ジャケットを見て厳つそうなヤツを買っときました。



ミヒャエル教会
カールス門をくぐってまず目に飛び込んできたのがこのミヒャエル教会。例え意識していなかったとしてもこのミヒャエルの像は視界に入ります。それくらい迫力満点で、しばらく足を止めずにはいられませんでした。
ここにはなんと、ルートヴィヒ2世の棺が置かれているそうです。



ドイツ狩猟漁猟博物館
お次は、ボーっとしていると博物館と気付かないような狩猟漁猟博物館。入り口の前にイノシシやら、巨大な魚の像があったのでふと立ち止まってしまいました。ドイツの狩の全てを知ることが出来るようです。 その博物館から、ふと左手を見ると、そこには巨大なツインタワーが建っていました。なんて立派な時計台なんでしょう。
これはぜひ近くで見てみたい!早速行ってみましょう。



フラウエン教会
狩猟漁猟博物館のところを左に曲がり、少しい歩くとその時計台はありました。ミュンヘンはどれも同じような高さに建物の高さがそろえられているのですが、一際天高く聳え立っているのがこの時計台。
間違いなくミュンヘンのシンボル的存在といえるでしょう。
高さはおよそ100mもあります。名古屋のツインタワーよりも立派に見えてしまうのはなぜでしょう。南塔はエレベーターで上まであがることが出来ます。

しかし、それにしてもミュンヘンは時計台が多いです。
極端な話し、時計を持たなくても生活ができそうなほどです。
それくらい、あちこちに時計台がありました。

調子に乗っていろんな角度からたくさん写真を撮ってしまいましたが、早朝だったので、東を向いて写真を撮るとみな逆行になってしまいました。
なんとなく、ミュンヘンの写真を撮るときは午後の方が良いような気がしました。



新市庁舎
@フラウエン教会からさらにてくてく歩いていると、突如、金色に輝くマリア柱像が現れました。戦乱の破壊から逃れられた記念に立てられてそうです。そしてふと左手に目をやると、↓
Aそこはなんと、新市庁舎の真ん前でした。
前日は地下鉄で来てしまったので距離感がありませんでしたが、雪の中、凍える手で写真を撮っていた建物がまた目の前にあるではありませんか。
B意外とミュンヘンというのは徒歩で十分回れるもんなんだなとちょっと驚きました。ここがミュンヘンの中心・マリエン広場なんですね。ここからは旧市庁舎や、聖霊教会などをみることができます。
C新市庁舎の裏手に回ってみました。ちょっとオドロオドロシイですね。
改修工事がされていました。
Dでも、裏手にはこんな巨大なサッカーボールのモニュメントが出来ていました。そういえば、2006年の6月からここミュンヘンでもFIFAワールドカップが開催されるのでした。オリバー・カーン選手のブンデスリーガがここのFCバイエルン・ミュンヘンですね。
バックにフラウエン教会の時計台を従えたミュンヘンの新市庁舎。とっても絵になりますね。
仕掛け時計グロッケンシュピールが有名ということで見てみたくて、9時の時報を待っていたんですが、どうやら11時と12時にしか出てこないようです。残念。
ネオゴシック様式の新市庁舎ですが、新といっても100年も前に立てられているんですよね。なんだか、日本では考えられないですよね。



バイエルン州立歌劇場
新市庁舎からさらに奥に進むと、マクシミリアン通りにでました。そこには、バイエルン州立歌劇場があったのですが、なんとも格調高い雰囲気が漂っております。
でも、それもそのはず、この辺りはティファニー、ルイ・ヴィトン、シャネル、エルメスなど高級ブランドショップが立ち並んでいたのでした。
私には縁のない通りだ。早々に立ち去ろう。



ライオン像
早朝からミュンヘンの市街地を散策していたのですが、なぜか街のあちこちにライオンの像が立っているのです。
しかも、決まって奇抜なペイントをされているのです。イケてるライオンくんもいれば、恥ずかしくなるライオンくんも。ブランドショップの前のライオンくんは金色でした。
触ったら幸せにでもなれるのでしょうか??
ライよンチャンネル、ライドオンタイム(笑)



ミュンヘン・フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港
時間も10時を過ぎると迎えの車がホテルにやってきてしまいました。
早朝散歩でミュンヘンの町をいろいろ見て回りましたが、早過ぎてやっていないお店ばかりだったので、やっぱりもう一泊して博物館などをいろいろ巡りたかったですね。ワールドカップの行われるアリアンツ・アレーナの横を抜け、ミュンヘン国際空港へやってきました。ここからは、ルフトハンザ航空を使って、ヨーロッパのもう一つの目的地の国へ飛びます。
この空港は最近新しくなったばかりらしく、関空もびっくりなほど美しい建物でした。さすがに市の中心からは離れているので、歴史的な趣はありませんでしたが、中央のBMWの看板には驚かされました。
トイレでも驚かされたのが、便器にハエの絵が描いてあったことです。これが噂の掃除の費用を削減するというハエかと感動してしまいました。
さぁ、久々に日本のそばも食べたことだし、次、いきまっせー。





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